心と身体の不調歴&探求歴
幼少期(幼稚園~小学生)
- 胃腸が弱くすぐに疲れてしまう。
- 落ち着きがなくジッとしているのが苦手。
- 集中力がなくすぐに飽きる。
- すでに肩こり、首痛の自覚があり頭痛もよくあり、母親の頭痛薬を黙って服用していました。
- 〈自分の健康〉や〈得も知れぬ未来〉への不安感があり、「人生とは?」 「生きるとは?」「僕って何?」と今から思えば子供らしからぬことで悩む変な子供でした。
青年期(中学生~大学生)
- 相変わらず、常に身体の不調を感じていました。
- 特に長時間座っていると肩・首・背中にコリが出てきて勉強するにも集中力が続かず苦労しました。
- 幸い動いている方が楽だったので、中学ではバレーボール、高校から大学までは陸上競技の短距離に打ち込んでいました。→しかし、ここから腰痛をメインに故障との戦いの始まり…。
- 他人には気づかれないように振舞っていました、コンプレックスの塊で「生きるってしんどいなあ~」と思っていました。
- 「身体と心と人間に興味がある」という動機?で体育大学に進学
- 大学時代には致命的な腰と股関節の故障で競技を断念し人生最大の挫折を経験。
- 病院や接骨院、鍼灸院、電気治療、マッサージなどをさまようが故障は治らず治療院ジプシーになる。
- 大学3年の終わり頃に整体と出会い故障が劇的に改善。この時、整体という治療法があることを知る。
青年期期(20代)
- 働きながら学ぶ勤労学生を対象とした通信制の企業内高校の体育教師として就職。
- 社会人になると、さらに身体の不調は酷くなり、好不調の波が大きく、不調時にはじっと仕事しているのが辛く、よく隠れてストレッチをしたり寝転がって休んでいました。
- 首痛、肩こり、背中痛が慢性化。さらに周期的に酷い腰痛になり腰が伸ばせなくなりヘッピリ腰で歩くこともしばしば。
- 見かけは立場上、元気ハツラツを装う。
- 週に1回は頭痛になり頭痛薬を常備するようになる。
- 責任のあるポジションを与えられるが、仕事を十分にこなせず自分の甘さを思い知らされて凹む。
- 自己啓発に目覚め、ビジネス書、成功哲学、宗教関係書などを乱読。
- 同時に、絶対一人前になることを決意し、きめ細かい準備と学習を習慣づけるようになり、3年間でそつなく仕事をこなせる大人に成長。
- 教師という仕事に生き甲斐を感じつつ、自分が一生かけてする仕事は他にあると考えるようになる。
- 体調不良を改善すべく健康法を独学で勉強。この頃からサプリメントにはまり【健康&サプリメントオタク】になる。
- 自分の身体にあった健康法や治療院を探すようになり【健康法&治療院ジプシー】になる。
- やっと自分を楽にしてくてれる整体院を見つけ、通院するようになる。(ある程度楽になったが、身体の不調は持続…)
- 「何とか身体を楽になりたい」という動機から「同じように苦しんでいる人達を助けたい!」と思うようになり、馴染みの整体院が運営していた寺小屋形式の整体学校に入学。結局は仕事を辞めてその整体院に就職。
成人期(30代~現在)
- プロの治療家となり、さらに本物の技術や健康法、サプリメントを模索しだす。
- プロとしてやる以上は基本からもう一度学ばねばと思い、当時日本では最高峰の教育内容だったカイロプラクティックの専門学校(日本カイロプラクティックアカデミー基礎課程)で3年間、キッチリ基礎医学からカイロプラクティックの検査法や治療技術を学ぶ。
- カイロプラクティック、オステオパシー、エネルギー療法などこれはと思う治療法を片っ端から勉強し【治療技術オタク】となる。
- 30代後半には健康法オタクがこうじて2年間、整体から離れプロの健康法のインストラクターを経験。
- 心、マインドの世界に興味を持ち出し成功哲学、宗教、スピリチュアルなことを研究しだし【成功哲学オタク】【スピリチュアルオタク】となる。
(※宗教については研究はしましたが、特定の宗教を信仰はしておりません) - 1999年9月(38歳)に地元近江八幡市にて開業。
- 治療技術は知っている数でなく深さであることに気づき、「シンプル・イズ・ベスト」を合言葉に深める努力をするようになる。
- 40代半ばから徐々に「人を治すコツ」「心と身体の真の健康を得るコツ」「人生における幸福と成功を得るコツ」が分かるようになり【自分自身が心も身体も人生も楽に楽しく生きられる】ようになり、現在に至っております。
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